「朝まぐれの鵜の鳥岩」  46×23p 2008年 〈襟裳町〉

 襟裳に行ってきた。中富良野を早朝暗いうちに出て、狩勝峠、中札内を経て、大樹町にて太平洋に出た。それより南下、ところどころ海岸に降りたりしたが、襟裳岬にはお昼前に着いた。

 四キロメートルに及び、岬が海に沈み込む様は見所もあるが、ちょっと岩の数が多すぎて、画にするのはもっと単純な方が良いと思われた。

 となり街の様似町のパンフレットに、親子岩という、両親と小さな子どもの様な岩が、海面から顔を出す写真を見付けて、見に行くことにする。車を走らせると、襟裳岬からほどなく、小さな入江に岩がいくつかあり、波が押し寄せるところがあった。なかなか良い。親子岩が難しければここが良いと思いながら、先を急ぐ。

 親子岩に着き、辺りをしばらく歩いて角度を変えて見たが、面白いモチーフではあるけれど、画にしたいと思う程の感動が沸いて来ない。こうなれば、やはりさっきの入江かと蜻蛉返りである。

 十隻の小舟をやっと引き上げられる程の、小さな入江の砂浜の向うに、陸側に大きな岩、そして、だんだん小さくなりながら十余りの岩が、海面から顔を出している。なんとも良いバランスである。地図にも載っていないというのがまた良い。

 さっそく画架を立てる場所を決める。一安心であるが、朝からの長距離の移動でちょっと疲れた。今夜、構図を検討する為に、おおよその当たりを描かないと、明日の仕事が進まない。そう思って描き始めれば疲れも忘れて、明日からの仕事が楽しみな構図になった。

 次の日は、朝の暗いうちからモチーフに行く。満月を二、三日過ぎた月が西の空より海面に光を落とす。夜が明けるにしたがい朝焼けの光が、月の光と入れ替わる。軽トラックで行き過ぎた漁師が、車を止めてしばらく私の方を見ている。身投げでもすると思ったのか、カンバスを出すと安心した様に車を出す。二百メートル先の岩の辺りまで、競艇のレースのごとく突進する。舟が出て行くと、コンブを一杯に積んで帰るまでの間、岡回りの連中は手が空く。

 五時頃になると入江があわただしくなる。三十人ほどの人が出て、小さな浜で出漁の準備である。一人乗りの魚舟が海に降ろされるが、皆砂浜のすぐ近くで、何をするともなく、しばらく浮かんでいる。そこへ、けたたましいサイレンの音である。一斉に、舟の舳先から半分程を海面から出しながら波を蹴り、わずか百メートル、
 物めずらしそうに私の方へやって来る。一人、二人は覚悟していたが、浜にいたほとんどの人が、入れ替わり立ち替わりやって来る。おとなしく見ていれば良いが、あのコンブ取りの舟を画に入れろとか、山の上の自衛隊のレーダー基地は画にならないかとか、このくらい好き勝手なことを言われると、その辺で騒ぐ海鳥と大差なく腹も立たない。海洋性の気質はあるものだと実感した。

 しばらくして、明らかに、今までの人とタイプが違う物静かな老人が来て画を観ている。私から口を開いた。「あの岩に名前はあるんですか。」「鵜の鳥岩」なまりのある、やっと聞き取れる話振りである。「昔から、良く鵜の鳥が来て止まる岩なの。」私は作品の題名が決まり嬉しかった。
 八時には宿の朝食なので一休み、午前中もう一仕事して、お昼は宿に頼んだおにぎりを食べ、海岸でちょっと遊んで午後の仕事を日没まで、八時前には眠るという日課が終日続き、体力、気力とも無くなれば、あるいは雨の日が続けば家に帰る。